善利組辻番所とは

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彦根城下の足軽組屋敷は、城下町のもっとも外側に、城下を取り囲むように屋敷を連ね、彦根城と城下町を守る役割を担っていました。
彦根藩の足軽は慶長期(〜1614年)に中薮組と善利(せり)組が設置されたのを皮切りに、その後の加増による足軽増強により切通組・中組・上組が新たに設置され、合わせて36組1,194人が足軽集団を形成していました。
中でも善利組は外堀と善利川の間の東西約750m、南北約300mを占め、幕末期には戸数およそ700を数えました。道筋は東から西へ1丁目〜15丁目に区分され、外堀と善利川の間に大辻通りと中辻通りを設け、両者が交差する辻の要所に辻番所を設置して、24時間体制で不審者等の監視を行っていました。

それが、この善利組辻番所です。

辻番所は間口1間、奥行2間の切妻造り桟瓦葺きの4畳余の小さな小屋ですが、交差する通りに少し張り出しており、その角に「見張り窓」を設けて通りがよく見渡せるように工夫されています。
絵図などで確認される辻番所の数は、足軽組屋敷全体で36戸であり足軽組の数とほぼ同数ですが、現存するのは善利組足軽組屋敷である旧磯島家住宅に隣接する辻番所が唯一であり、全国的に見ても極めて稀で貴重な建造物と言えるでしょう。

辻番所と隣接する旧磯島家住宅は、市民によるトラスト運動が
きっかけとなり、2008年彦根市により買い取られ市指定文化財と
なりました。2010年〜2013年に解体修理工事が行われ、2014年より
公開・活用が始まり、辻番所の会が運営・管理を行っています。

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